躁うつ病治療に終わりというものがあるのだろうか?   

星和書店の精神科治療学の2009年12月号はなかなか興味深い特集でした。
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo01/bo0102/bn/24/12index.html
つまり「治療が終わること,治療を終わらせること」というものです。
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo01/bo0102/bn/24/12.html


●躁うつ病治療に終わりというものがあるのだろうか  野間 俊一
 躁うつ病に関して,治療の終結を論じることはきわめて困難である。それは実際に,薬剤の漸減中止を試みても最終的に再燃してしまう症例がけっして少なくないという臨床経験に基づく。


:これは,私の場合もそうでした。その後は薬を止めていないけど,量が少なくて再発,再燃したと思える事があったけど,何とか入院しないで済みました。私は再発のリスクを考えると気分安定薬は止められないのです。


躁うつ病者自身,減薬を強く希望する者は少なく主治医の指示に忠実であるのは,元来もちあわせている執着性格に由来する可能性があり,さらに,彼らの規範順守傾向と現世的側面によって,医師の指示する服薬が忠実に守られるのかもしれない。


:そうかな?と私は思うけど。服薬遵守はそんなに高くないと思うけど。私の場合は,躁転の恐怖に支えれて渋々です。


彼らの社会的地位や現状への執着傾向は,彼らの生きる「イントラ・フェストゥム」という時間構造と密接に関連している。躁うつ病治療の終結は,しばしば患者の自殺というかたちでもたらされるが,その背景には,患者の表面的な社交性に隠された決定的な孤独が存在する。つねに現在を生きる躁うつ病者が,治療においても生活のあらゆる事象においても,「終わり」をイメージすることは困難だが,他者とともに時間の流れを生きることが可能となることが,躁うつ病の治癒の前提となるのかもしれない。


http://www.shogyo-shisetsu.jp/article/mutter/mutter087.html イントラ・フェストゥム:イントラフェストムは、「祭りの最中」を意味し、時間意識は現在の優位、あるいは永遠の現在である。鬱病者のように過去のことでくよくよしないし、先のことを取り越し苦労もしない。分裂病親和者のように未知なる未来を恐れたり憧れたりもしない。このような過去も未来もない永遠の現在を生きている。ある対象に熱中しながらも次から次へと対象を変えていくようなタイプである。こんな哲学用語を持ち出されても分からない。


これが統合失調症の場合には,精神科医は統合失調症の治療を終結できない 小林 聡幸 と書かれてしまっています。


実はこの論文は,タイトルはいいし,抄録も期待を持たせるけど,本文はだらだらして,空っぽな感じです。
でも,みなさんの経験で,「躁うつ病治療に終わりというものがあるのだろうか」と言う事を,どう思われますか?

 


Comments

「躁うつ病治療に終わりというものがあるのだろうか」に対して

>>これが統合失調症の場合には,精神科医は
>>統合失調症の治療を終結できない 小林聡幸
>>と書かれてしまっています。

>>実はこの論文は,タイトルはいいし,抄録も期待を持たせるけど,
>>本文はだらだらして,空っぽな感じです。

最初から諦めている感じで先生以前の問題と感じますね。
小林聡幸氏は直接話した事もありますが
本音陰湿だったのでもう会いたいという気持ちも無くなりました。

>>でも,みなさんの経験で,
>>「躁うつ病治療に終わりというものがあるのだろうか」
>>と言う事を,どう思われますか?

軽減させてゆく努力を惜しまない、の一言です。
意識的に心を軽くする事を考えてそして行動して行きましょうよ。
そういう癖をつけて気長に継続して行くのです。

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